むだい

動画をあげる3月11日までできれば短文でも毎日更新しようと考えたので今日も書きます。(厳密には前回のも日付的に今日なんですが気にしないでください。)

今帰省中で実家にいるのですが、先日住民票やらを取りに久しぶりに実家のあった海沿いの町を訪れました。
町役場は山の方にあるので被害はほとんどなかったのですが、それでも建物が古かったのでプレハブに簡易的にシステムを移して仕事を行なっています。

前にも書いたのですが、今回の震災の被害というものは津波が到達した地域とそうでない地域とでは雲泥の差があります。
震度6強という非常に強い揺れがあった私たちの町でも、津波によって家が流されてしまった地域と見比べると震災直後でも本当にいつも通りの風景で、仮設住宅が立ち並んでいるところを除けば私の知っている風景がほとんどそのままそこにはあります。そこにはもちろん町の人たちの苦しい努力があってのことでしょうが、その風景を見るたびに心が休まるような気持ちになります。

それとは対照的に津波のあった地域では1年経った今なおところどころに瓦礫が積み上げられ、一階が壊れて倒壊寸前の家がまだ手付かずの状態で立ち並んでいました。その光景に圧倒され、この震災の後処理というものがどれほど大きなものなのかということを痛感します。

町には海沿い(と言っても海から1km弱離れてたので当時は海に近いだなんて意識はなかったのですが、今ではもはや1km以内は海のすぐ隣ってくらいの認識みたいですね)を通る鉄道があったのですが、先日行った時にはもう踏切も線路も撤去されていました。
帰省した5日にちょうどニュースになっていたのですが、海沿いを走っていた線路は山側へずーっと伸ばして建てなおすことに決まったそうです。前からあった話だったのですが、今回正式に決まったようです。

また、それとは別なんですが実家のあった海から数十mの地域は今後「自然公園」という土地になるそうです。公園とは名ばかりの放置地帯ということでしょう。

もし自分に子供が生まれて、「俺昔はあそこに住んでたんだよ。」なんて言う頃にあの場所はどんな姿になってて子供はどんな顔するのかなぁなんて考えたり。地盤沈下が進んでいるのでもしかしたらもう海になっているかもしれないですね。

震災の話をすると暗いこと暗いこと書いてしまいがちでなんですが、1年経ってこの経験も貴重な人生の1ピースだったなぁなんて前向きに考えられるようになりました。もし大学の春休みなどで暇がある方には一度東北を訪れてもらいたいって思ったりしてます。知り合いでも「震災ツアー」と題して東北の海沿いを車でまわることを計画している人もいました。
東京にいてはわからないことを普段仙台にいる家族と話している自分でさえその光景を見て色々考えさせられました。

写真貼りたかったんですがデジカメを持っておらずスマホも電池が切れていたので文章だけで。

今日は暗い話ですいませんでした。ではではこのへんで⊂二二二( ^ω^)二⊃
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